漢方医学は、人間の存在を大自然の全体の中でとらえる思想からはじまっています。ですから、病気を単に局所的なものとして考えず、その人物の精神や環境、自然とのつながりの中でとらえようとします。いうなれば、哲学的であり、総合的な考え方なのです。西洋医学の方は、病気をあくまでも局所的にとらえ、病因を分析し、追及します。西洋医学が、解剖や細菌学で大きな進歩を遂げた背景には、このような医学思想があったのです。
病気を全身的にとらえる漢方医学は、古代中国で発達しましたが、日本には奈良朝以降、直接あるいは中国から朝鮮半島を経由して伝わり、長い年月をかけて体系化され、経験法則を積み重ね、江戸時代になって、日本独自の医術が確立されました。ところが明治維新とともに西洋医学が採用され、その普及を急ぐあまり漢方医学を否定し「漢方」の看板を上げてはいけないという内務省令まで出されたほどでした。
ところが近年、漢方医学が再認識され始めました。 西洋医学がギブアップした病気も漢方を用いると治ってしまうといった実例が各国の医学者によって認められ、漢方薬の持つ薬効が科学的に分析されるに及んで、西洋医学と漢方医学はお互いの欠陥を補い合い、医療に貢献する方向になったのです。
さて漢方医学が西洋医学と決定的に違う点は「証」という診断法です。
西洋医学では患者の病気の症状や症候を診断し、病名を決めその病名に従って薬物を投与したり治療処置を行うのが普通です。
ところが漢方医学では患者の体質や病状に応じて「証」を診断します。「証」には虚証、実証、陰証、陽証などがあり、患者の身体の状態をあらわします。用いる薬物もそれにふさわしいものが選ばれるのです。
虚証とは人体に必要な物質の不足や機能低下の状態をいい、陰証は体力が病毒に圧倒されている状態、陽証は体力があり病毒に勝っている状態をさすと考えるとよいでしょう。 実証は体力が充実している状態で西洋医学なら健康であるとして病人扱いなどしません。 漢方の思想では、人体というものは病気を進める力と、人体自らが治ろうとする力とがバランスよく釣り合っている状態を自然であると考えますから、体力が充実しすぎるのはその自然バランスを崩すものとして、これを証のひとつに入れ、実証としているのです。 実証を治すのに「瀉」法が主として使われます。また虚証を治すのには主に「補」法が使われます。つまり足りないものを補強するのです。